激動の幕末を生きた島津家の天璋院篤姫。 その篤姫が幼少時代をすごした今和泉の歴史や文化を、地元の鳥山住民の目から紹介していきます。
posted by 漂い人 at 12/11/2006 01:20:00 PM
初めまして、やまももと申します。 今回、貴ブログにコメントを書かせてもらいましたのは、篤姫関連の記事を書いておられるだけでなく、また御自身も今和泉のお近くに住んでおられますので、つぎのことをお聞きしたいと思ったからです。 今和泉小学校(今和泉家の別邸跡ですよね)のHPの「校歌」のページを見ましたら、同校校歌の歌詞には「隼人松原 風もなく/桜 島 山 日に映えて」とあり、またその隼人松原の海岸から見える桜島の写真も掲載されていました。 ですから、篤姫が幼い頃、もし今和泉家の岩本村の別邸から海上を見たとしたら、遥か北方に桜島が見えたことは間違いないでしょうね。しかし、今和泉に住む人々にとっての桜島の存在はどのようなものなんでしょうかね。宮尾登美子の小説『天璋院篤姫』では、噴煙をたなびかせている桜島の姿は、篤姫にとって懐かしい故郷の風景に絶対欠かせないものとして描かれていますが、実際に今和泉に住む人々にとって本当に桜島はそのような存在なんでしょうかね。 突然の質問で大変恐縮なんでが、もしご意見を聞かせていただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。 やまもも ブログ「ポンコツ山のタヌキの便り」 http://plaza.rakuten.co.jp/yamamomo02/
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初めまして、やまももと申します。
今回、貴ブログにコメントを書かせてもらいましたのは、篤姫関連の記事を書いておられるだけでなく、また御自身も今和泉のお近くに住んでおられますので、つぎのことをお聞きしたいと思ったからです。
今和泉小学校(今和泉家の別邸跡ですよね)のHPの「校歌」のページを見ましたら、同校校歌の歌詞には「隼人松原 風もなく/桜 島 山 日に映えて」とあり、またその隼人松原の海岸から見える桜島の写真も掲載されていました。
ですから、篤姫が幼い頃、もし今和泉家の岩本村の別邸から海上を見たとしたら、遥か北方に桜島が見えたことは間違いないでしょうね。しかし、今和泉に住む人々にとっての桜島の存在はどのようなものなんでしょうかね。宮尾登美子の小説『天璋院篤姫』では、噴煙をたなびかせている桜島の姿は、篤姫にとって懐かしい故郷の風景に絶対欠かせないものとして描かれていますが、実際に今和泉に住む人々にとって本当に桜島はそのような存在なんでしょうかね。
突然の質問で大変恐縮なんでが、もしご意見を聞かせていただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
やまもも
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